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中田英寿ブログ、全盛期の中サッカー選手を引退した真意とは(その1) [引退]

こんにちは。

いよいよ今年の6月より、
FIFAワールドカップ ブラジル大会が始まります。

この大会、5大会連続5会目の出場となる日本は、
果たしてどのような戦いを見せるか、今から楽しみですね。

前回大会では、第三国開催でのワールドカップで初めてグループステージを突破
ベスト16で惜しくもPK戦で破れてしまいましたが、
今やアジアチャンピオンである日本、
海外に渡り経験を積んだ選手たちも多く、どんとんと実力をつけています。
今大会、必ずや素晴らしい結果を残してくれると思います。


今となっては当たり前となった、この、
日本人プレーヤーの海外チーム所属

特に近年では、

香川真司マンチェスターユナイテッド
本田圭祐ACミラン
長友佑都インテルミラノ)など、

世界有数の欧州ビッグクラブに所属することも
実現できるようになってきました。


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これは、選手の実力があることももちろんそうですが
世界での日本人の評価がこれまでと比べて
圧倒的に上がってきたこと、
そして、その評価を上げたのが、他でもない
中田英寿」が、その実力を魅せつけたから。

だと、私は思います。


中田は1998年、21歳でイタリア「セリエA」のペルージャに移籍します。
移籍金は5億2000万円
世界的には、まだ発展途上とされている、
日本人、日本クラブに支払われる金額としては破格でした。

過去、日本人選手のセリエA挑戦としては、
三浦和良(ジェノバ所属)がありましたが、
満足に結果を残すことができず、
日本人がイタリアで成功した例はありませんでした。

そんな中、中田は移籍1年目から
33試合に出場し、10得点をあげるなど
弱小チームにある中、主力として孤軍奮闘の活躍で、
イタリア中にその実力を認めさせました。

それから1年あまりで強豪「ローマ」へ移籍
1年前に5億2000万円だった移籍金は、ペルージャでの活躍により
17億円にまでのぼりました。

強豪ローマの中にあっても、中田のプレーは凄みを増し、
2000-2001シーズンには、日本人で初めての
「セリエA優勝メンバー」となるまでに至りました。


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中田英寿ブログ、全盛期の中サッカー選手を引退した真意とは(その2) [引退]

そんなサクセスストーリーを駆け上がった中田は、
2006年、29歳の若さで現役を引退します。

今なお、全盛期であったこの29歳というタイミング
なぜ、中田英寿は引退を決意したのか。


その心境を、中田はブログにこう綴っています。(以下、内容抜粋)

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8歳から始めた「サッカー」という旅
その旅は20年あまりにもわたり、
始めたころに自分では想像していなかったほど
大きなものとなった。

(引退の)半年ほど前から、このドイツワールドカップを最後
プロサッカー界から引退するということを決意した。

引退することについて色々と思うことはあるが、
いま一番ある気持ちは、プロサッカーという「旅」から卒業し、
『新たな旅をしたい』という気持ちだから。

1つ心残りがあるとすれば、
日本は強いのに、それを発揮しきれない
どこか自信につながらなかったこと。
(この大会、日本は2分1敗で予選敗退)

そんな思いがきちんとみんなに伝わっていないのではと
悔しい気持ちでいっぱいだったが、
(中田へのメール・手紙を読んで)
ファンのみんながその気持ちをわかってくれていたから、
この先の日本サッカーについて何も心配していない。

俺は、安心して次の旅へと進むことができる。

みんな、これまでの応援、ありがとう。
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原文をご覧になりたい方はこちら



サッカー選手という、それを出来る人も出来る期間も、
限られた特別な仕事をまだ続けられる中、

次への道を見据えて、サッカーという旅を終えた中田。


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この時すでに、サッカー選手でありながら
自分が何をすべきか・したいのか
ということを頭にイメージ出来ていたからこその決断だったんですね。


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